エンニオ・フルピアーニ/主観と客観性/ゲームに勝つには

今週の独り言


エンニオ・フルピアーニ あなたは善人? 2003年3月15日

「世の中が良くなることは、絶対にない」18世紀のフランスの社会学者、エンニオ・フルピアーニが言った言葉である。

彼の理論を説明すると、例えば無人島にA氏とB氏が流れついたとする。苦労の末、湧き水を見つけ、飲もうとするときAが飲もうと言ってもBはなかなか飲もうとしない。結局、Aが飲んだあとBも飲んだ。また、木の実を見つけた時も、Aが食べるまでBは決して食べない。なぜ? 早い話、BはAを毒味係にしているのである。

フルピアーニが言うには、古代から生き残る人間はすべてこのBタイプの人間で、リスクを避けつつ、取り分だけは同等のものを平然と取っていく。生き残った人間から生まれた子供も、同様の人間に育つから、この世はずるい人間ばかりになり、世の中は良くならないと言うのだ。

極端な理論だが否定もできないですね。リスクを避けつつ、取り分だけは同等のものを平然と取っていく、というのは、最近ETFの不正取引で話題になった某証券会社そのものではないか。某証券は同等どころか、それ以上をかっさらっていくのですから、フルピアーニも真っ青ですね。

またフルピアーニは次のようなことも書いている。人間対人間でする賭け事は、勝つことに耐えられない人間が必ず負ける。これは負けてる人間を目の前にして、そのことに耐えられなくなる人間が、結局負けると言うのだ。つまり賭け事は善人が負ける。これも凄い理論であるが、そういえばあのジョージ・ソロスも投資で成功するには冷徹でなければならないと言っている。日常生活では善人でもマーケットでは、その逆でなければならないようだ。

なんか、やなコラムになってしまいましたが、皆さんはどう思いますか?




主観と客観性 2003年3月8日

イラクの石油利権を巡り各国の思惑が交錯する中、いよいよアメリカの攻撃が秒読みに入ってきました。果たして、この戦争が正義なのか悪なのかは誰もが疑問に思うことでしょう。例え理不尽な戦いによる勝利であっても、歴史は常に勝者によって捏造されて行くものだと思っています。数十年後、この石油利権戦争がどう語り継がれているのでしょうか。

私は戦争に行ったことがないので、兵士の気持ちはよく分かりませんが、実際に戦場に行く兵士たちも自分の主観(考え)がある訳で、国家戦略という客観性のもとに、自分のアイデンティティーを否定するのは、ある意味凄いことでも有り、また同時に恐ろしいことでもあります。

株も心理戦争です。これからの数週間は主観と客観性とのバランスを保つことが大切ではなかろうか。



ゲームに勝つには 2003年3月1日

株式投資は敗者のゲーム〈原著第6版〉 だと書いた本がある。その本ではテニスを例にとり「プロは得点を勝ち取るのに対し、アマは得点をミスにより失う」とある。

これに関しては、私もまったくその通りだと思う。株式運用で果たして、誰がプロで誰がアマかの議論は別にして、ミスを多く重ねた者が敗者となるのは明白である。

1年と言う期間を区切って株式運用の勝者と敗者を考えた場合、減点法なのだと思います。1千万の資金をAさん・Bさんに渡し運用したとします。Aさんは20回のミス・Bさんは5回のミスで1年を終われば、その差が損益となって表面化します。(ここで言うミスとはロスカットは勿論、早すぎる利食いも含む)

では、どの程度のミスならプラス計上出来るかは難しい問題です。極端な話、99回ミス(ロスカット)しても1回の利食いが大きければプラスになるからです。しかし、このような考えは、私は好きではありません。理屈では確かにそうかも知れませんが、99回を毎回小額でロスカットできる保障もありません(魔が差したり・値幅制限等)ましてや、1回の大幅利食いなど競馬で万馬券を期待するような考えは、もはや投資ではなく博打の世界です。まあ唯一言えることは、大きなミスをすれば、その後のリカバリーは極めて困難になるということですかね。

人間である以上、ミスを完全に排除することは不可能ですが、少なくする努力は必要ではないでしょうか、私も年中ミスばかりしていますが・・・